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ミールザー・ジャワーン・バフト (シャー・アーラム2世の皇子) : ミニ英和和英辞書
ミールザー・ジャワーン・バフト (シャー・アーラム2世の皇子)[こ, ね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
皇子 : [みこ, おうじ]
 (n) imperial prince
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

ミールザー・ジャワーン・バフト (シャー・アーラム2世の皇子) : ウィキペディア日本語版
ミールザー・ジャワーン・バフト (シャー・アーラム2世の皇子)[こ, ね]

ミールザー・ジャワーン・バフト(Mirza Jawan Bakht, 1749年 - 1788年5月31日)は、北インドムガル帝国の第15代皇帝シャー・アーラム2世の長男。同国第16代皇帝アクバル2世の兄でもある。ミールザー・ジャハーンダール・シャー(Mirza Jahandar Shah)とも呼ばれる。
==生涯==
1749年、ムガル帝国の皇帝(このときはまだ皇帝ではない)シャー・アーラム2世とその妃タージ・マハルとの間に生まれた〔Delhi 13 〕.〔An oriental biographical dictionary: founded on materials collected by the ... - Thomas William Beale - Google Books 〕。
1760年10月9日、傀儡の皇帝シャー・ジャハーン3世マラーターに廃位されたとき、ミールザー・ジャワーン・バフトは一時的にデリーの摂政となった〔。その翌日、彼は帝国の皇太子となった〔。
1761年1月14日マラーター同盟軍とアフガン勢力ドゥッラーニー朝第三次パーニーパットの戦いで激突し、アフガン軍が勝利した。そののち、ナジーブ・ハーンがその代官となると、彼とともにデリーを統治することとなった。
1772年1月に父帝シャー・アーラム2世が帰還するまで、ナジーブ・ハーンらとデリーを統治した。なお、この間にデリーはマラーターのマハーダージー・シンディアによって占領されていた。
同年から帝国の武将ミールザー・ナジャフ・ハーンが帝国の巻き返しを図ると、ミールザー・ジャワーン・バフトもこれに付き従い、1782年までに帝国の版図を一定の地域にまで広げた。この間、1781年5月2日に弟のミールザー・アクバル(のちのアクバル2世)が皇太子に任命され、これはイギリス東インド会社からも認められた〔Delhi 19 〕。
1782年にミールザー・ナジャフ・ハーンが死亡し、マハーダージー・シンディアがその副官の争いを収めて帝国の実権を握った。だが、彼を嫌っていたミールザー・ジャワーン・バフトは、1784年4月14日にデリーを逃げ、アワド太守の首都ラクナウに定住した〔。その後、イギリスからの年金受給者となり、ヴァーラーナシーのシワーラー宮殿を与えられた〔。
1788年5月31日、ミールザー・ジャワーン・バフトはヴァーラーナシーの宮殿で死亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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